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ロスチャイルド 2 

 こページでは1900年代以降のロスチャイルドについて記す。

 (※1)、(※2)・・・等はこちらをご参照ください。

 ■ 目次

(以降1900年代)
 ■ 1910年 ジキル島クラブでの極秘会議
 ■ 1911年 ヴェルナー・ゾンバルトの言葉「ロスチャイルド時代
 ■ 1912年 タイタニック号の沈没
 ■ 1913年 J・P・モルガンの死と資産
 ■ 1913年 合衆国第3の中央銀行-FRB-連邦準備制度理事会の設立
 ■ 1913年 連邦準備銀行の所有者
 ■ 1914年 第1次世界大戦と通信社の掌握
 ■ 1916年 第1次世界大戦中の「バルフォア宣言
 ■ 1917年 ロシア革命によるロスチャイルド権力の誇示
 ■ 1919年 第1次世界大戦の終結とパリ講和会議
 ■ 1919年 ユダヤ人による「ボルシェヴィキ」の活動
 ■ 1919年 ロスチャイルドの金決定権の取得
 ■ 1919年 マリア・オルシックブリル協会を設立
 ■ 1920年 『シオン長老の議定書』そのままの現実
 ■ 1921年 CFR(外交問題評議会)の設立とマスメディア支配
 ■ 1922年 あらゆる機関に触手を伸ばす巨大なタコ「見えない政府」
 ■ 1924年 ソビエト連邦の最高指導者、ヨシフ・スターリンもユダヤ人
 ■ 1924年 FBI長官、エドガー・フーバー
 ■ 1924年 ユダヤ人によるユダヤ人観
 ■ 1928年 ユダヤ人による「新世界秩序
 ■ 1929年 「世界大恐慌」を引き起こしたFRB
 ■ 1930年 ロスチャイルド家の世界中央銀行「国際決済銀行 BIS」の設立
 ■ 1933年 ヒトラー首相に就任
 ■ 1933年 新しい1ドル札に「万物を見通す目」が印刷される
 ■ 1935年 ユダヤ人によるアフリカ人奴隷貿易
 ■ 1936年 下院議員ルイス・T・マクファデン毒殺される
 ■ 1939年 WW2勃発と大企業等のナチス支援
 ■ 1941年 日本の参戦
 ■ 1941年 ジョサイア・スタンプ卿の言葉
 ■ 1942年 プレスコット・ブッシュがヒトラーに資金提供
 ■ 1943年 シオニズムナチズム
 ■ 1944年 東京大空襲
 ■ 1944年 ブレトン・ウッズ体制の確立
 ■ 1945年 WW2終戦と「国際連合
 ■ 1946年 イングランド銀行の国有化
 ■ 1947年 アルベルト・アインシュタインの公開状
 ■ 1948年 デイル・ヤシンの虐殺
 ■ 1948年 イスラエルの独立
 ■ 1949年 中華人民共和国の建国
 ■ 1950年 ロスチャイルド家による世界政府計画
 ■ 1954年 ビルダーバーグ会議
 ■ 1963年 JFケネディの暗殺
 ■ 1966年 歴史学者キャロル・キグリーの言
 ■ 1972年 WHOによるワクチン接種の大量虐殺
 ■ 1973年 バーコードに666
 ■ 1974年 ニクソン失脚
 ■ 1976年 アシュケナージ・ユダヤ人の言葉
 ■ 1978年 B型肝炎ワクチンの接種試験
 ■ 1980年 ジョージア・ガイドストーンの建立
 ■ 1982年 サブラ・シャティーラの大虐殺
 (原稿作成中)
 (原稿作成中)
 ■ 2001年 911事件
 (原稿作成中)
 ■ 2004年 フィキシング(金価格の値決め)から撤退
 ■ 2016年頃 ロスチャイルドホワイトハットの会議
 ■ 2019年 ロスチャイルド家、200年の栄華に幕
 ■ 2019年 環境活動家グレタ・トゥーンベリはロスチャイルド一族
 ■ 2019年 新型コロナ・パンデミックはロスチャイルドの最後の作戦
 ■ 2020年 現代のロスチャイルド
 ■ 2020年 ロスチャイルド一族の内紛
 ■ 2021年 アンゲラ・メルケルはロスチャイルド一族


 ■ 1910年 ジキル島クラブでの極秘会議

 1910年11月に、ジョージア州にある「ジキル島クラブ」(左画像は、現在のJekyll Island Club Rezort)に大物銀行家ら7人が集まり「FRB」(Federal Reserve Board:連邦準備制度理事会:米国の中央銀行)を設立するための極秘会議が開かれた。

   10日間の会議で「FRB」の骨格が形作られた。

 参加者は次の7人。
(1) ポール・ウォーバーグ
  ロスチャイルド銀行頭取。
  ロスチャイルドの代理人。右画像。

(2) ベンジャミン・ストロング
  JPモルガン商会の上官代理。
  後のニューヨーク連邦準備銀行の初代総裁。

(3) チャールズ・ノートン
  
JPモルガンのファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨーク頭取。

(4) フランク・ヴァンダービップ
  ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク副頭取。

(5) ネルソン・オルドリッチ
  共和党上院議員。左画像。
  娘はジョン・ロックフェラー2世の妻となる。
  その孫のネルソン・ロックフェラーは、1970年代フォード政権下での副大統領。

(6) アブラハム・ピアット・アンドリュー
  
ハーバード大教授。連邦財務次官補

(7) J・P・モルガン
  アメリカ5大財閥の一つ「モルガン財閥」の創始者。
  「1913年の項」で彼の資産が明かとなるが、彼もロスチャイルドの代理人であった。右画像。

 アメリカ5大財閥:ロックフェラー(石油、金融)、モルガン(金融)、メロン(金融、保険、電力)、デュポン(科学、火薬、爆弾)、カーネギー(鉄鋼)。

 ■ 1911年 ヴェルナー・ゾンバルトの言葉「ロスチャイルド時代」

(※1、p.116)
 ヴェルナー・ゾンバルト(右画像)は著書『ユダヤ人と経済生活』(邦訳:荒地出版社)で、1820年以来、世は「ロスチャイルド時代」であると言い、「ヨーロッパにはただ一つの権力しか存在しない。それはロスチャイルド家だ」と断定している。

ヴェルナー・ゾンバルト(1863-1941)はドイツの経済学者・社会学者。
 ドイツ的社会主義を提唱し、またユダヤ人が資本主義を生み出したと論じ、反ユダヤ主義的な論述を行った。

 ロスチャイルドが一気に飛躍したのは、1815年のワーテルローの戦い
 公債(コンソル債)の売買でイギリスのネイサン・ロスチャイルドが巨万の冨を得たことと、この年1815年にイギリス王家(当時はハノーバー朝)の支配権も握った。
 HP内リンク


 ■ 1912年 タイタニック号の沈没

 ●タイタニック号の沈没とJ・P・モルガン

 当時「絶対に沈まない」と謳われた豪華客船「タイタニック号」が、その処女航海で大西洋に沈んだのは1912年4月15日のこと。

 「タイタニック号」の所有者は「ジョン・ピアント・モルガン」(J・P・モルガン、左画像)で、アメリカ5大財閥の一つである「モルガン財閥」の創始者。

 「JPモルガン」自身も当初は「タイタニック号」に乗船する予定で、彼が特に熱心に乗船を勧めたのは次の3人の億万長者。
 (1) ジョン・ジェイコブ・アスター4世
 (2) イジドー・ストラウス
 (3) ベンジャミン・グッゲンハイム

 この3人に共通していたのは・・・「FRB(連邦準備制度理事会)の設立の反対していた」こと。

 J・P・モルガンは、航海の直前に乗船をキャンセル。
 上の3人は避難ボートにも乗らず、大西洋に沈んだと言われている。


 ● 船長はイルミナティ・イエズス会

 当日「タイタニック号」の船長は「エドワード・ジョン・スミス」でしたが、彼は「イルミナティ」のメンバーで、更に上位の「イエズス会」に属していた。

 氷山の情報も事前に得ていたとの噂もあり、故意に氷山に衝突・沈没させたものと推測される。


 ● 沈んだのは廃船予定の姉妹船

 「タイタニック号」には「オリンピック号」という、外見・内装がそっくりな姉妹船があった。

 先に就航した「オリンピック号」は2回事故を起こし、保険もかけられない廃船予定の船。

(※右画像は次から。
 https://ameblo.jp/hakabano999/entry-12589547824.html)

 そこで「オリンピック号」を塗装等により「タイタニック号」として就航させ、沈没させたもの。

 つまり、保険も掛けられない船を沈没させて「J・P・モルガン」は莫大な保険金を受け取ったことになる。

 この「タイタニック号の沈没」の項には「ロスチャイルド」の名前は登場しないが、次の「項」で「J・P・モルガン」が「ロスチャイルド」の代理人であったことと、「FRB」の成立に不要な大富豪を消し去っていることから、事件の背後に「ロスチャイルド」がいたことは確実だろう。


  1913年 J・P・モルガンの死と資産

(※1、p.118)
・1913年3月31日、金融帝国のオーナーと言われていたJ・P・モルガン(ジョン・ピアポント・モルガン)死去。 

 アメリカ1の富豪だと思われていたが、遺言書によれば、彼が所有していたのはJPモルガン・グループの19パーセントでしかないことが明らかになった。

 では、残り81パーセントは? ロスチャイルド家の所有である。

  1913年 合衆国第3の中央銀行-FRB-連邦準備制度理事会の設立

 ● ウッドロー・ウィルソン大統領の取引
(※1、p.118)
 1913年3月4日、ウッドロー・ウィルソン(右画像)第28代アメリカ合衆国大統領に選出される。

 ウィルソンが大統領に就任してまもなく、グッゲンハイム・アンターマイヤー・マーシャル法律事務所のアシュケナージ・ユダヤ人、サミュエル・アンターマイヤーがホワイトハウスの彼のもとを訪れる。

 アンターマイヤーは、プリンストン大学教授時代にウィルソンが同僚の妻と関係を持った件で、4万ドルをゆすりとろうとした。
 大統領はそんな金は持っていなかった。

 するとアンターマイヤーは、ウィルソンが関係を持った女性に支払う4万ドルを自分のポケットマネーから出そうと申し出る。

 そして、その条件として、次に合衆国最高裁判所に欠員が出たら、アンターマイヤーが彼に推薦する候補者を任命することを約束することを求め、ウィルソンはこれに同意する。


 ● FRB(連邦準備制度理事会)の設立

1913年、ユダヤ人たちは、アメリカにおける最新で今も続く中央銀行、連邦準備制度理事会を設立している。

 国民からの支持を得るため、彼らはずうずうしくも中央銀行だけがインフレと不景気を抑制できると訴えた。

 しかし実際は、中央銀行というまさにその考えの目的は、貨幣供給を操作し、インフレ不景気を引き起こすことにあったのである。

【銀行からの貸し出しを増加させれば実体経済は拡大し、インフレ傾向となる。そこから急激に貸し出しを減少させれば、急激な不景気を起こすことができる。日本の1990年代のバブル崩壊も全く同じ手法で引き起こされている】


 12月23日に連邦準備法【オーウェン・グラス法が可決され、チャールズ・リンドバーグ下院議員は次のように述べる。

【上の下院議員、チャールズ・オーガスト・リンドバーグは、大西洋単独飛行を成し遂げたチャールズ・オーガスタス・リンドバーグの父親。右画像】


 「連邦準備法は、世界で最も巨大な信用(クレジット)を規定するものだ。
 大統領がこの法案にサインすれば、金融権力という見えない政府が合法化される。
 (中略)この銀行制度と通貨に関する法案によって、世紀の重大な犯罪が準備されることになるのだ」



 ● ウッドロー・ウィルソンの言葉

 当時の米国大統領ウッドロー・ウィルソン(大統領任期:1913年3月4日~1921年3月4日)は、晩年になって連邦準備制度(FRB)設立(1913年12月23日大統領署名)に加担したことを後悔して、こう言い残した。

 「私はうっかりして、自分の国を滅亡させてしまいました。
 大きな産業国家は、その国自身のクレジットシステムによって管理されています。
 私たちのクレジットシステムは一点に集結しました。
 したがって国家の成長と私たちのすべての活動は、ほんのわずかな人たちの手の中に有ります。
 私たちは文明開化した世界においての支配された政治、ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。


 (うっかりし過ぎです w)



  1913年 連邦準備銀行の所有者

 ● FRBとFRS

 FRB(Federal Reserve Boad:連邦準備制度理事会)は、FRS(Federal Reserve System:連邦準備制度)の最高意思決定機関。
 FRSFED(Federalから)と言われることもある。

 7人の理事(内議長1人、副議長1人)から構成されている。
 (右画像はワシントンにある「連邦準備制度理事会」の外観)

 実際の中央銀行業務を行っているのは、FRBの下に位置づけられる12の地区連邦準備銀行(FRB、Federal Reserve Banks、地区連銀)

 (12地区は次のとおり。①ボストン ②ニューヨーク ③フィラデルフィア ④クリーブランド ⑤リッチモンド ⑥アトランタ ⑦シカゴ ⑧セントルイス ⑨ミネアポリス ⑩カンザスシティ ⑪ダラス ⑫サンフランシスコ)


 ● FRB・FRSはどちらも私企業

上の2つのFRBFRSは、Federal(連邦の)が冠されているが「連邦政府」とは何の関係もない「私企業」であることに注目することが重要。

(「Federal」が冠されている有名な機関には、FBI(Federal Bureau of Invesigation:連邦捜査局)がありますが、こちらは司法省に属する国家機関です)


 ● 過去に財務諸表を公開したことが無い
(※1、p.119)
・(連邦準備銀行)は控えめに見積もっても利益は年間1,500億ドルになるが、過去に財務諸表を公開したことはない。

 ある最近の証拠から、誰が実際に連邦準備銀行を所有しているのかが明らかになった。
 それは次に掲げる銀行である。
   銀 行 名  所 在 地  所 有
   ロスチャイルド銀行  ロンドン  左の10行は
全てロスチャ
イルドの銀行
   ウォーバーグ(ヴァールブルグ)銀行  ハンブルグ
   ロスチャイルド銀行  ベルリン
   リーマン・ブラザーズ  ニューヨーク
   ラザール・フレール  パリ
   クーン・ローブ銀行  ニューヨーク
   イスラエル・モーゼス・シフ  イタリア
   ゴールドマン・サックス  ニューヨーク
   ウォーバーグ(ヴァールブルグ)銀行  アムステルダム
   チェース・マンハッタン銀行  ニューヨーク

【要するに、ロスチャイルドが「FRBを所有している」と言うこと】


  1914年 第1次世界大戦と通信社の掌握
 
 ● ロスチャイルドの両建て
(※1、p.120)

・1914年、第1次世界大戦(1914~1918)が始まる。
【連合国:ロシア、フランス、イギリス、イタリア
 中央同盟国:ドイツ、オーストリア=ハンガリー】


 この戦争の間、ドイツのロスチャイルド家はドイツに金を貸し、イギリスのロスチャイルド家はイギリスに金を貸し、フランスのロスチャイルド家はフランスに金を貸した。


 ● 通信社の買収

・また、ロスチャイルド家は、ドイツのヴォルフ(1849年設立)、イギリスのロイター(1851年設立)、フランスのアヴァス(1835年設立)というヨーロッパの3つの通信社を掌握する。
 ロスチャイルド家は、ヴォルフを利用してドイツ人の戦争熱を煽った。

 この頃ロスチャイルド家はめったにメディアに登場しなかったが、それは彼ら自信がメディアを所有していたからである。

現代においてもロスチャイルド家はメディアにほとんど登場しない。
 何故ならば当時から、世界中のメディア、出版等全てを掌握しているから】



  1916年 第1次世界大戦中の「バルフォア宣言」

 ● ルイス・ブランダイスが最高裁判事に就任
(※1、p.122)
・1916年、約3年前にウッドロー・ウィルソン大統領がサミュエル・アンターマイヤーに脅迫された際の取り決めによって、6月4日、アシュケナージ・ユダヤ人のルイス・デンビッツ・ブランダイス【左画像】が、合衆国最高裁判所の陪席判事に任命される。

(※1、p.123)
ロスチャイルドの代理人ルイス・ブランダイスは、シオニストの代表団をアメリカからイギリスに派遣し、イギリスがパレスチナの地ロスチャイルド家に与えると合意すれば、アメリカをイギリス側につけて参戦させるという約束をさせた。

【要は、ロスチャイルドは3宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地が1か所に集まるイスラエルがあるパレスチナに自らの国を建国したかったと言ううこと。
 ここで重要なことは、自らの同胞である、世界に離散(ディアスポラ)しているアシュケナージユダヤ人のために国家を建設したのではなく、世界紛争の火種として建国したということ】


・イギリスはパレスチナの扱いに合意し、ロンドンに来ていたシオニストたちは(中略)この事実を(アメリカに)伝えた。


 ● マスコミのプロパガンダ

・すると、それまでドイツ支持だったアメリカ大新聞がすべて突如としてドイツ批判に回り、「ドイツ兵は赤十字の看護婦を殺害している」「ドイツ兵は赤ん坊の手首を切り落としている」といったプロパガンダ記事を掲載して、国民感情を反ドイツに向かわせるよう画策した。

【戦争にプロパガンダは付きもの。
 最近では湾岸戦争時(1991年)の「ナイラ証言」が有名。
 (1) 嘘から始まった湾岸戦争!自作自演の議会証言とPR操作! - YouTube

・興味深いことに、ウッドロー・ウィルソン(右画像)はこの年、「息子たちを戦場に送りたくなければ、ウィルソンを再選しよう!」とのスローガンを掲げて選挙活動を展開し、大統領に再選されている。
【しかし結果は真逆で、ウィルソンは翌1917年に参戦している】

・1917年、ドイツが休戦を申し出た結果、【休戦を望まない】ロスチャイルドの戦争扇動マシンはアメリカでフル回転し、反ドイツのプロパガンダを全米のメディアに広げていった。


 ● アメリカの第1次世界大戦への参戦

やがてついにウィルソン大統領は、ユダヤ系アメリカ人の合衆国最高裁判所の判事、ルイス・デンビッツ・ブランダイスの指示により、4月6日、選挙民との約束を破ってアメリカを第1次世界大戦に参戦させる。

・アメリカを参戦させるとイギリスに約束したロスチャイルドは、イギリスからその交換条件 【パレスチナの土地をロスチャイルドに与える】を守ると確約する書面をもらいたいと考えた。

 そこで、ユダヤ人のイギリス外相、アーサー・ジェームズ・バルフォア【左画像】は、一般にバルフォア宣言として知られる所管の草稿を作成した。その内容を転載する。


     外務省  1917年11月2日 

 親愛なるロスチャイルド卿
 私は、イギリス政府に代わり、ユダヤ人シオニストの悲願への共感を表明する以下の宣言が閣議において承認された旨を貴殿にお伝えできることを、大変喜ばしく存じます。

 イギリス政府は、パレスチナの地にユダヤ人の民族的郷土を建設することについては好意をもってこれを見ることとし、その目的達成が促進されるべく最大限の努力を払うものとする。

 ただし、パレスチナに存在する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及びその他の国々に住むユダヤ人が現在享受している諸権利や政治的地位を害する恐れのある行為は一切成されるべきではないことは、明確に理解されるものとする。

 この宣言を、貴殿によりシオニスト連盟にお伝えいただければ、ありがたく存じます。 
 敬具
 アーサー・ジェームズ・バルフォア  

【ロスチャイルド卿が、イギリス政府と同等の立場で(実際にはイギリス政府よりも上の立場で)文書を交わしているようだ】


  1917年 ロシア革命によるロスチャイルド権力の誇示


 ● ニコライ2世とその家族全員の処刑
(※1、p.125)

ロシア皇帝ニコライ2世は(2017年の2月革命で)3月2日すでに退位していたが、ロスチャイルド家は、彼らの支配下にあるボルシェヴィキユダヤ人に、皇帝とその家族全員の処刑を命じた。
ニコライ2世一家11人が殺害されたのは、1918年7月17日。上画像はニコライ2世とその家族】

 これはロスチャイルド家がロシアを支配するためでもあり、1815年のウィーン会議で彼らの世界政府計画を阻止したアレクサンドル1世と、1864年にエイブラハム・リンカーン大統領の側についたアレクサンドル2世【右画像】に対する報復行為でもあった。

 1815年ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドの誓いを果たすために、女性や子供も含めた皇帝の家族全員を殺すことは、ロスチャイルド家にとって非常に重要だった。

 この行為は権力の誇示であり、ユダヤ人による非ユダヤ世界への反逆の表明だったのである。


  1919年 第1次世界大戦の終結とパリ講和会議

 ● パリ講和会議の開催
(※1、p.128)
 1919年1月18日、パリ講和会議が開催される。
 その目的は、第1次世界大戦(1914/7/28~1918/11/11))の終結により、ドイツが戦勝国に支払う賠償金を決定することにあった。

 アシュケナージ・ユダヤ人バーナード・バルーク(アメリカ連邦議員会の特別委員会で、「わたしは、戦時中ほかの誰よりもな権力を持っていた。それは間違いない事実だ」と言った人物)が率いる117人のユダヤ人代表団は、パレスチナに関する例の約束を持ち出した。

【ユダヤ系・アメリカ人であるバーナード・バルークは、戦争を一種の公共事業として認識した人物で、第1次世界大戦ではウッドロウ・ウィルソン大統領の側近として活動。左画像




 ● ユダヤ人がアングロサクソンを操っている
(※1、p.129)
興味深いことだが、そのパリ講和会議の主催者は、ユダヤ人の首領、エドモン・ド・ロスチャイルド男爵であった。

【エドモン・ド・ロスチャイルド男爵(1845-1934)は、パリ・ロスチャイルド家の祖、ジェームス・ド・ロスチャイルド男爵(1792-1868)の4男。ロスチャイルド家系図

 『講和会議の内幕(The Inside ofthe Peace Conference)』で、エミール・ジョセフ・ディロンは、パリ講和会議について次のように述べている。

 「意外に思われるかもしれないが、(ヴェルサイユの講和会議に出席した)代表団の大多数がアングロサクソン人を陰で操っているのはユダヤ人だと信じていたことは、紛れもない事実である。(中略)

 この方針の影響を受ける国々の、これが東ヨーロッパの平和を決するとみなす会議出席者は、これをある打開策に帰結させた。

 つまり、これ以後、世界はアングロサクソン人によって支配され、アングロサクソン人は、その代わり、内部のユダヤ人の影響を受けるということである」


 ● RIIA(王立国際問題研究所)CFR(外交問題評議会)の設立
(※1、p.130)

 1919年5月30日、この講和会議(パリ講和会議)から派生したもう一つの会議が、同じくエドモン・ド・ロスチャイルド男爵を議長に、パリのマジェスティックホテルで開催された。

 この会議では、各国政府の政策に助言を行う(つまり、政策をコントロールする)機関を設置するべきという決定がなされた。

 この機関は、「国際問題研究所」と呼ばれ、その後、次の二つの機関に形を変えた。

 1920年に設立されたイギリスの「王立国際問題研究所(RIIA)」【右画像】と1921年にアメリカに設置された「外交問題評議会(CFR)」である。

 どちらの期間も、ロスチャイルド家によってコントロールされている。

王立国際問題研究所:RIIA:Royal Institute of International Affairs、イングランドのケント州チャタムにあるので、チャタム・ハウスとも呼ばれる。

 外交問題評議会:CFR:Council on Foreign Relations、RIIAの姉妹機関、左画像。

 パリ講和会議において、アングロ=アメリカ(英米)のリーダーシップによって世界秩序を統治する構想が打ち出され、国際連盟が1920年発足したものの、アメリカ合衆国国際連盟に参加しないこととなったため、方針転換を行い、RIIACFRを独自に設けることとなったとも言われている。


 国際連盟は、当時のアメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの提唱によって結成されたが、モンロー主義によって議会から否決された為にアメリカ合衆国は参加していない。

 モンロー主義(Monroe Doctrine)は、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。
 第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会で行った7番目の年次教書演説で発表したもの】



 ● 国際連盟はユダヤのアイディア

(※1、p.131)
 そしていよいよ、ロスチャイルド家は、このパリ講和会議を使って、世界政府の樹立を再び試みたのである。

 彼らはすべての戦争(当然ながら、それを引き起こしているのは彼らである)を終結させるという口実で、これを働きかけた。
 彼らはそれを「国際連盟」【1920~1946】と呼んだ。

 幸い、国際連盟は各国の賛同を充分に得られず、やがては消滅に至ったが、後に世界シオニスト会議の会長となるナフム・ソコロウは連盟解散以前に次のように述べている。

 国際連盟はユダヤ人のアイデアである。
 われわれは25年に及ぶ闘いの末に、これを作り上げたのだ」


  1919年 ユダヤ人による「ボルシェヴィキ」の活動

 ● ボリシェヴィキ運動のリーダーの75%はユダヤ人

ボリシェヴィキとは、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニン(1870年~1924年、右画像)が率いた左派の一派で、後のソビエト連邦共産党の前身。

(※1、p.131)
・1919年3月29日、「ロンドン・タイムズ」紙は、ロシアのボリシェヴィキ政権について次のように書いている。

【ロシアの「ボルシェヴィキ政権」は、1917年10月にレーニンが起こした「10月革命」で成立した政権】

 「奇妙なことだが、ボルシェヴィキ運動のリーダーには、ロシア人意外が多数含まれている。

 
ボリシェヴィキ運動の中枢をなす2,30名の人民委員と呼ばれるリーダーたちの少なくとも75%はユダヤ人である」

 ロスチャイルド家は、ロシアにおける中央銀行設立を阻まれたために、ロシア人を憎んでいたと言われている。

 そこで、ユダヤ人スパイ団を結成してロシアに送り込み、(ロシア)革命を扇動したというわけだ。


 ● ロシア革命はユダヤによるロシアの乗っ取り

 民衆のためという名目ではあったが、革命の実態は、ロスチャイルド家が操るユダヤ人エリート集団によるロシアの乗っ取りであった

 事実、ユダヤ人スパイのリーダーのうちレオン・トロツキー【1879年~1940年、左画像】は、【オーストリア)ウィーン滞在中、ロスチャイルド男爵とたびたびチェスに興じていたという。


 ● レーニンはユダヤ人
(※1、p.132)
 1991年1月24日の週の「ジューイッシュ・ポスト」誌は、ウラジミール・レーニン【右画像】がユダヤ人だったことを明らかにしている。

 レーニンは隠れユダヤ人で、本名をウラジミール・イリイチ・ウリヤノフという。

 そのレーニンの発言として、次の言葉が記録に残っている。
 「中央銀行を設立すれば、国家の共産主義化は90%進んだことになる」

 ロスチャイルド家から資金援助を受けたこれらユダヤ人ボリシェヴィキは、その後の歴史において、ソビエト連邦が支配する領土内で、6,000万人ものキリスト教徒と非ユダヤ人を虐殺した。

 ● ソルジェニーツィンの言

 アレクサンドル・ソルジェニーツィン【左画像】は、著書『収容所群島』第3部で、ソ連の強制収容所システムを構築し、これを管理したのはユダヤ人であり、それらの収容所では、何千万人ものキリスト教徒や非ユダヤ人が死亡したと書いている。


 ● ボルシェヴィズムとは

・1919年4月、「ロンドン・グローブ」紙上でジョージ・ピター・ウィルソンは、ボルシェヴィズムをこう定義した。

 ボルシェヴィズムとは、キリスト教徒の手に一切の資本がなくなり、ユダヤ人全員が共に世界をその手中に収め、どこでも好きな国を統治するまで、世界のキリスト教国家を次々に奪取していこうという行為である」

・1919年7月23日、ロンドン警視庁は、アメリカ合衆国国務長官に次のように報告した。
 「今や、ボルシェヴィズムがユダヤ人のコントロールする一つの国際的な運動であるという揺るぎない証拠がある。アメリカ、フランス、ロシア、イギリスの指導者たちは、足並みを揃えるため、互いに連絡を交わしている

(※1、p.136)
・1920年9月10日付の「アメリカン・ヘブライ」紙には次のように書かれている。
 「ロシアのボリシェヴィキ革命は、ユダヤ人の頭脳とユダヤ人の不満、そしてユダヤ人の計画によるものだった。
 その目的は、世界に新しい秩序を構築することである。

 ロシアでの革命があれほど鮮やかに成功したのは、ユダヤ人の頭脳を用い、ユダヤ人の不満を理由として、ユダヤ人の計画に従って行われたからであり、同じユダヤ人の精神力と腕力をもってすれば、同じことが世界中で現実のものとなるだろう


  1919年 ロスチャイルドの金決定権の取得

 ● フィキシングの権利を得る
(※1、p.134)
1919年「N・M・ロスチャイルド父子商会」は、日々の世界の金価格の恒久的決定権を得た。

 それは毎日午前11時、ロンドンのシティーのオフィスの同じ部屋で、2004年まで行われた。

N・M・ロスチャイルド&サンズ(英語: N M Rothschild & Sons)は、イギリス、ロンドンの名門投資銀行。

 1811年にロスチャイルド家のマイアー・アムシェル・ロートシルト(初代ロスチャイルド)および息子のネイサン・メイアー・ロスチャイルドにより設立された)

 ロンドン金市場では、1919年から毎日ロスチャイルド社の「黄金の間」(右画像、こちらから)に固定のメンバーが集まってフィキシング(fixing)と呼ばれる「値決め」を行ってきた。
 そして、この価格が金現物の国際的な指標価格として用いられてきた


 ● フィキシングからの撤退

 しかし、2004年にチェアマンであったロスチャイルド社が貴金属ビジネスを縮小したことによりフィキシングから撤退

 現在はスコシア・モカッタ、バークレイ銀行、ドイツ銀行、HSBC、ソシエテジェネラルの5社(チェアマンは輪番制)が、毎日午前と午後に電話で売買注文を突き合わせ、折り合った価格をフィキシング・プライス(値決価格,fixing price)として世界に向けて発信しているとのこと。
 https://gold.mmc.co.jp/market/word/jp8.html 


 ■ 1919年 マリア・オルシックがブリル協会を設立

 次は主に(※5)からの情報です。

 なお、後述するように「ブリル協会」とロスチャイルド一族との関係は直接的には明らかにされていないようです。

 しかしながら、次の理由で「ロスチャイルド」の項に掲載することとする。

マリア・オルシックが交信していたのは、アルデバラン星ジャノシアンと呼ばれる後退的アヌンナキ種族
 ロスチャイルド一族は、アヌンナキ種族の後退的エンリル派の支援を受けていたと考えられること。

・後退的ETシカールと契約を結んだナチス・ドイツ(背後にロスチャイルド)にも「ブリル協会」の先進的知識が伝えられたと言われている。


 ● 「ブリル協会」の設立

 ドイツ・ミュンヘンにおいて、霊媒師であったマリア・オルシック(当時24歳、左画像)が秘密結社「ブリル協会」を設立。

 「ブリル」と呼ばれる生命エネルギー(気やプラーナ)を開発。
 「ブリル」を高めると、それを意のままにコントロールできるようになる。

 その結果、テレパシー能力が高められ、ヒーリングが可能となり、ものを破壊することもできるようになる。


 ● 地球外生命体と交信

 マリア・オルシックが交信していたのは、64光年離れた牡牛座のアルデバラン星系の地球外生命体であるジャノシアン
 1919年から交信を開始。

 アルデバラン星(=おうし座アルファ星=ジャダ星)は、おうし座で最も明るい恒星で、全天21の1等星の1つ。

 ジャノシアンは、ジャダ星(=アルデバラン星)系の第7惑星「コラ361」(「前哨基地361」の意)に居住しているアヌンナキ種族

 ジャノシアンはかつては太陽系の火星と木星の間にある惑星(ジャノス)に住んでいたが、その惑星がマイトラ族によって破壊された時に、太陽系を追放された移民共同体。
 ジャノスが破壊された後、その破片は小惑星帯になっていると言う。

 マリアは、自動書記で宇宙船の製造方法などに関する情報を伝えていた。


 ● 空飛ぶ円盤等の建造

 マリアの交信は戦争目的には使われず、善良な人たちで研究が進められ、ある科学者がミュンヘン工科大学の研究室で空飛ぶ円盤の建造に成功。

 更に驚くべきことに、ブリル協会では月面着陸アルデバラン星系への星間飛行まで成し遂げていた。


 ● ナチスによる秘密宇宙プログラムへの活用

 ブリル協会が驚嘆すべき技術の開発を続けるため、ナチスはこれを「秘密宇宙プログラム」(SSP)に活用するようになる。

  1920年 『シオン長老の議定書』そのままの現実

 ● 『シオン長老の議定書』の出版

(※1、p.137)
1920年には『シオン長老の議定書』(四天王延孝訳/太田龍補訳・解説/成甲書房)もイギリスで出版された。

 ロシア語版原書は1906年に大英博物館に収められている。
 この文書には、ユダヤ人による世界制服の詳細な計画が記されていた。

 また、1897年、スイスのバーゼルで開催された第1回世界シオニスト会議の議事録とも言われている。

 ユダヤ人たちは、この書籍を反ユダヤ主義としてただちに糾弾した。
 偽造であるとは主張したが、面白いことに捏造だとは言わなかった。

 ユダヤ人による世界支配という計画が本物であると結論づけるには、証拠を検証し、ユダヤ人がすでに世界を支配している、あるいはそのための明らかな努力をしていると立証する以外にない。

 前者が真実であることを示す証拠は有り余るほどある。


 ● ヘンリー・フォードの感想

 ヘンリー・フォード(フォード自動車の創業者)【1863年~1947年、右画像】も、85年前の1921年にこの議定書についてこう述べている。

 「議定書について私が言いたいことはただ一つ。
 それが現在進行中の事態にぴたりと当てはまるということだ。

 議定書は16年前のものだが、今の世界の状況に合致している。
 今、まさにそうなっているのだ


  1921年 CFR(外交問題評議会)の設立とマスメディア支配

 ● 外交問題評議会(CFR)の設立
(※1、p.138)

・1921年、アメリカではアシュケナージ・ユダヤ人のバーナード・バルーク【左画像)エドワード・マンデル・ハウス大佐【右画像)によって、外交問題評議会(CFR)Council on Foreign Relations】が設立された。

【ハウスには兵役経験がなかったが「ハウス大佐」の名で知られ、ウィルソン大統領の片腕として活動した】


 これは、前年に死亡したジェイコブ・シフの生前の指示によるものである。

 シフは、ロスチャイルド家の陰謀を実行に移す政治家を選ぶ組織が、アメリカに必要だと判断したのだ。

 CFR設立については、すでに1919年5月30日にフランス、パリのマジェスティックホテルで開催された会議で承認済みだった。

 CFRの設立当初のメンバーは、アメリカ国内の約1,000名だったが、これは、アメリカ各産業トップ、アメリカに拠点を置く国際銀行、およびこれらの関係の非課税法人それぞれの代表者が事実上全員集まったものである。

 つまり、実質的に、上下両院の議員を目指す者に必要な資金を提供する者たちというわけだ。

 ● CFRによるマスメディア支配

 CFRの初仕事はマスメディア支配だった。

 この仕事を与えられたジョン・D・ロックフェラー【左画像)は、「ライフ」誌「タイム」誌のような全国規模のニュース雑誌を立ち上げた。

 さらに、ユダヤ人のサミュエル・ニューハウスに資金援助して全国の新聞社を買収させ、一大新聞チェーンを展開させた。

 また、もう一人のユダヤ人、ユージン・メイアーにも資金を与え、「ワシントン・ポスト」紙、「ニューズウィーク」誌、「ザ・ウィークリー・マガジン」誌をはじめ多数の定期刊行物を買収させた。


 【上画像はクリックすると別画面で拡大する】

(※1、p.140)
CFRは、ラジオ、テレビ、映画業界にも支配を広げる必要があった。
 これは、クーン・ローブ、ゴールドマン・サックス、ウォーバーグ、リーマンといった国際銀行に分担させた。

 これについて、『エンサイクロペディア・ジュダイカ』に次のように記されているのは興味深い。
 「ユナイテッド・アーティスツを除くハリウッドの大企業はすべてユダヤ人によって設立され、支配されている

・そして最後に、学校で教える内容をコントロールする必要性が出たが、これはカーネギー家【鋼鉄王】に一任された


  1922年 あらゆる機関に触手を伸ばす巨大なタコ「見えない政府」

 ● セオドア・ルーズベルト大統領の発言
(※1、p.141)
・1919年に亡くなったセオドア・ルーズベルト大統領の発言が、1922年3月27日付「ニューヨーク・タイムズ」紙に次のように掲載された。

 「こうした国際銀行ロックフェラーの所有するスタンダード石油の関係者が、大半の新聞社とその論説を支配下に収め、見えない政府を構成する腐敗した実力者達の命令を拒絶した公職者たちを力づくで服従させるか、その職から追い落とすのである


 ● ニューヨーク市長の言


 「ニューヨーク・タイムズ」紙がこの記事を掲載したのは、前日の3月26日付の記事で、ニューヨーク市長ジョン・ハイランがこう述べたことによる。

 「セオドア・ルーズベルトが発した警告は、今まさに時を得ている。
 わが国の真の脅威は、この見えない政府であり、それは都市から州、国家へとぬるぬるとした触手を伸ばす巨大なダコの様だ。(中略)

【左画像は1884年の風刺画。スタンダード・オイルが各業界に触手を伸ばす様子を描いている。こちらから】

 それは長く力強いその触手で、わが国の行政官、立法府、教育機関、裁判所、新聞社、その他国民を守るために作られたありとあらゆる機関をがっしりとつかんでいる。(中略)

 一般論を避けてはっきり言えば、このタコの頭というのは、ロックフェラーの所有するスタンダード石油の関係者と、一般に国際銀行と呼ばれる強力な小集団のことである。

 強力な国際銀行家によるこの小さなグループが、事実上、彼らの利己的な目的のために合衆国政府を動かしているのだ。

 彼らは2大政党を実質的にコントロールし、政治方針を決め、政党の指導者を彼らの手先とし、私企業の指導者を使い、あらゆる手を使って腐敗した大企業の命令に従順な候補者だけを政府高官に指名させている。(中略)

 こうした国際銀行家たちと、ロックフェラーのスタンダード石油の関係者が、この国の大半の新聞、雑誌を支配しているのだ


  1924年 ソビエト連邦の最高指導者、ヨシフ・スターリンもユダヤ人

(※1、p.143)
1924年、グルジア人のヨシフ・スターリンソビエト連邦の最高指導者となる。

【「グルジア」は現在「ジョージア」と呼ばれている】


 ヨシフ・スターリンの本名、ジュガシヴィリは、グルジア語で「ユダヤ人の息子」を意味する。

 グルジア語で「シヴィリ」は「~の息子」、「ジュガ」は「ユダヤ人」なのだ。

 スターリンは生涯に3人の妻をめとったが、その3人、エカテリーナ・スワニーゼ、ナジェージダ・アリルーエワ、ローザ・カガノーヴィッチはみなユダヤ人であった。

 興味深いことに、スターリンは最高指導者だった時代に、反ユダヤ主義の罪を犯した者を死罪に処すという法律を通過させている。


  1924年 FBI長官、エドガー・フーバー

 ● フーヴァーがアメリカ捜査局長官に就任
(※1、p.144)
・1924年5月10日、ジョン・エドガー・フーヴァ
アメリカ捜査局(BOI)長官に就任


【右画像の右がフーヴァー、左が副長官トルソン】

 捜査局は、1935年に連邦捜査局(FBI)となる。
 フーヴァーは、1972年に亡くなるまで長官の座にあった。

 ● マイヤー・ランスキーを使った脅し

 同性愛者であったフーヴァーは、在職中、40年以上にわたり彼のパートナーであり、彼の遺産の受取人となったFBI副長官のクライド・トルソンとの同性愛の現場を何度か写真に撮られている。

 この写真は、フーヴァーを脅してシオニズム陣営に取り込むために、ユダヤ人のマイヤー・ランスキー【左画像、ユダヤ系ロシア人のギャング】が首領として取り仕切っていたマフィアを通じて入手したものだとされる。


  1924年 ユダヤ人によるユダヤ人観

(※1、p.144)
・著書『異邦人(ジェンタイル)諸君(You Gentiles)』で、モーリス・サミュエルは、自分たちユダヤ人について次のように書いている。

 「われわれユダヤ人は破壊者であり、これからもずっと破壊者であり続ける。
 君らが何をしようと、われわれの要求にかなうことは不可能だ。
 われわれは永遠に破壊し続ける。
 なぜなら、われわれは世界をわれわれのものにすることを欲しているからだ」

・1924年に出版された『世界秘密結社』(馬野周二著/東興書院)で、著者ネスタ・ウェブスターユダヤ教について次のように言っている。

 「ユダヤ人は世界を支配せねばならない神の選民であるという思想が、実際にラビによるユダヤ教義の基礎となっているのである。(中略)
 しかし、今やユダヤ教は、【旧約】聖書よりもタルムードに立脚している」


  1928年 ユダヤ人による「新世界秩序

(※1、p.149)
・1928年、ロスチャイルド家の所有する「パリ評論」の6月1日版572ページに、バルーフ・レヴィからカール・マルクス【右画像】に宛てた手紙が転載されている。
 以下はその抜粋である。

 「ユダヤ人は民族全体として、自らの救世主となるでしょう。
 ほかの民族を解体し、国境や君主制をなくし、世界共和国を設立して、ユダヤ人が世界を支配するのです。

 その共和国では、ユダヤ人がいたるところで市民としての特権を行使します。
 この<新世界秩序>で指導者となるのは、全員イスラエルの子供たちです。
 反対の声など上りはしません。

 世界共和国を形成する他の民族の政府は、難なくユダヤ人の手に落ちるでしょう。
 そうすれば、ユダヤ人の支配者は、私有財産を撤廃し、どこでも国家の財産を利用できるようになります。

 かくして、救世主の時代が来れば世界中の全財産がユダヤ人のものとなるというタルムードの約束が実現されるのです


  1929年 「世界大恐慌」を引き起こしたFRB 

 ● ポール・ウォーバーグの警告
(※1、p.149)
1929年4月、ロスチャイルド家の代理人ポール・ウォーバグ右画像】は、その年の後半に、株価の暴落と全国的な不況が計画されているという秘密の警告を友人たちに送る。

 ジョン・D・ロックフェラー、J・P・モルガン・ジュニア、ジョセフ・ケネディ、バーナード・バルーク【左画像】ら当時のウォール街の巨人たちの伝記を見ると、いずれもこれらの人々が大暴落の直前に株式市場から完全に手を引き、資産を現金や金に替えた事実を驚きをもって記しているが、これが偶然でないことは明らかだ。

ポール・ウォーバーグは、1913年設立されたFRB(連邦準備制度理事会)設立の中心的人物。
 ジョセフ・ケネディ(1888年~1969年)は第35代大統領のジョン・F・ケネディの父親】



 ● 暗黒の木曜日

ウォールストリートの大暴落」から始まる世界恐慌ですが、手法は我が国のバブルの崩壊と全く同じです。
 前もって、銀行貸し出しを増加させ(貨幣供給量を増加させ)、景気を加熱させる。
 次に、一気に銀行貸し出しを渋る(貨幣供給量を減少させる)と、倒産する企業が出てきて、連鎖倒産が始まる】

 かくして、銀行家やその友人たちがみな既に承知していたとおり、8月、連邦準備制度理事会は貨幣供給の引き締めを開始した。
 そして10月24日、ニューヨークの大手銀行家たちは24時間以内のコールローン(短期貸付)回収を要求した。
 これは、仲買人と顧客がどちらも、売値にかかわらず、ローンの弁済のために市場に株を放出しなければならないことを意味する。

 株式市場が暴落した結果、その日は歴史上「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになった。

 ● ガルブレイスの著書

 ジョン・ケネス・ガルブレイスの著書『大恐慌』には次の様な衝撃的な記述がある。

 「売り熱が最高潮に達した頃、バーナード・バルークウィンストン・チャーチル【右画像】をニューヨーク株式市場の見学通路に案内した。

 バルークはチャーチルにパニックの様子を目撃させ、階下で起きている狂気じみた出来事に、彼が及ぼしている力の大きさを印象づけた

 ●ルイス・マクファデンの言

 1920年から1931年まで銀行通貨委員会の委員長を務めた共和党の下院議員、ルイス・T・マクファデン左画像】は、ユダヤ人銀呼家に対して妥協のない批評家だったが、この恐慌を引き起こしたのが誰かについて、次のように率直に述べている。
 「偶然ではない。慎重に仕組まれた出来事なのだ。(中略)
 国際銀行家は、ここに絶望的な状況を作り出すことを望んだ。
 そうすれば、私たち全員の支配者として君臨できるからだ



 ● 貨幣供給の引き締め

 不況やインフレから国を守るために連保準備制度理事会がとるべき手段を訴える声はあったが、同行はさらに貨幣供給の引き締めを続けた

「貨幣供給量」は長らく「マネーサプライ」と呼ばれていましたが、最近では「マネーストック」と言われるようだ。
 「貨幣供給量」は、「紙幣や硬貨の発行高」だけではない。
 銀行の「信用創造」によって、「紙幣や硬貨の発行高」の10倍以上になっている。
 銀行が貸し出しを増やせば「貨幣供給量」が増加し、銀行が貸し出しを引き締めれば「貨幣供給量」は減少する】

 1929年から1933年の間に、貨幣供給はさらに33%減少している。


 ● ミルトン・フリードマンの言

 ノーベル賞を受賞した経済学者、ミルトン・フリードマン【右画像】でさえも、1996年1月のラジオ・インタビュー次のように語った。

 連邦準備制度理事会が1929年から1933年の間に貨幣の流通量を3分の2に引き締めたことによって、大恐慌は起こりました。これは明らかです」

 暴落の日からわずか数週間で、30億ドルが消えた。
 1年が経つ間には、400億ドルが消滅している。

 しかしながら、これは単に消えたのではなく、冨がますます種数の者の手に集約されていったわけで、予定通りのことだった。

 ジョン・℉・ケネディの父親、ジョセフ・P・ケネディ【左画像】がいい例である。

 彼の資産は1929年には400万ドルだったが、アメリカ史上最大の不況の後の1935年には1億ドル以上に増えていた。

 これが不況の起きた原因である。
 少数者の利益のために、大勢の人間の手から金(カネ)が取り上げられたのだ。


 このとき取り上げられた金は主に海外で使われた。
 大恐慌が起きている間に、何100万ドルというアメリカの金が、第1次世界大戦で受けた被害からドイツを再建させ、ロスチャイルド家の次の戦争である第2次世界大戦の準備に使われていた。


 ● ルイス・マクファデンの言

 1920年から1931年まで銀行通貨委員会の委員長を務めた共和党のルイス・T・マクファデン【右画像】は、これについて次のように述べている。

 「第1次大戦後、ドイツはドイツの国際銀行家たちの手に落ちた。
 銀行家たちは、ドイツをまるごと買収したのだ。
 産業を金で買い、土地を抵当に入れ、製造業を支配し、公共事業すべてを掌握した。

 このドイツの国際銀行家たちが現在のドイツ政府を援助してきたのであり、アドルフ・ヒトラーの派手派手しい選挙活動に使われたの金もすべて彼らが提供したものである。

 これによって、ヒトラーブリューニング政権に対する脅威となった。
 ドイツの国際銀行家たちの命令にブリューニングが従えなくなると、ヒトラーが登場し、恐怖で国民を支配するようになるのである。(中略)

 連邦準備制度理事会を通して、300億ドル以上のアメリカの金がドイツに送り込まれた。(中略)

 ドイツでどんなことに金が使われていたかは、誰しも聞き及んでいることだろう。
 近代的な住宅、巨大なプラネタリウム、体育館、プール立派な公共道路、設備の行き届いた工場の数々。

 すべて、われわれの金で作られたのだ。
 この全部が、連邦準備制度理事会を通してドイツに与えられたのである。


  1930年 ロスチャイルド家の世界中央銀行「国際決済銀行 BIS」の設立

 ● BIS(国際決済銀行)の設立
(※1、p.154)
・スイスのバーゼルで第1回世界シオニスト会議が開かれてから33年後のこの年(1930年】、ロスチャイルド家の最初の「世界銀行」である「国際決済銀行(BIS)」【Bank for International Settlements、右画像はBISの現在の建物】)が、同じスイスのバーゼルに設立される。

 この設立者は、【次であった
・チャールズ・G・ドーズ
(ロスチャイルドの工作員で、1925年から1929年までカルビン・クーリッジ大統領のもとで副大統領を務める)

オーウェン・D・ヤング(ロスチャイルドの工作員。RCAの設立者で、1922年から1939年までゼネラル・エレクトリック社会長を務める)

・ドイツのヒャルマル・シャハト(帝国銀行(ライヒスバンク)総裁)

 BISは銀行家たちから「中央銀行の中央銀行」と呼ばれていた。
 国際通貨基金(IMF)世界銀行が各国政府と取引を行っている今日の視点からすれば、BISはほかの中央銀行と取引をしていたに過ぎない。

国際通貨基金(International Monetary Fund, IMF)は、国際連合(国連)の専門機関の一つ。国際金融と為替相場の安定化を目的として設立された。本部はアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.。2018年現在、加盟国は189か国。

 世界銀行(World Bank)とは、各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関である。本部はアメリカ合衆国ワシントンD.C.。加盟国は189ヶ国。日本語では、世銀(せぎん)と略称される】

 しかし、その会合すべて非公開で行われ、そこに世界中の中央銀行のトップが参加する。

 たとえば、連邦準備制度理事会(FRB)前議長であるアラン・グリーンスパン【左画像、FRB議長:1992~2006年】は、この非公開の会合に出席するために、スイスのバーゼルにあるBIS本部に、年に10回も出向いていた。


 ● BISの特権政府規制の免除

 また、BISは独立の存在として特権を有し、政府の規制を免除されている。
 この特権・免除の概要は次のとおり。
1) 個人、および、その所持品(すなわち、外交文書用郵袋)に対する外交特権。
2) 従業員給与を含めたあらゆる経済活動に対する課税免除。
3) 中国やメキシコをはじめ世界各国でBISが管理運営する建物や事務所に対する、大使館に準じる外交特権。
4) いかなる政府機関にも業務を監督されず、報告の義務もなく、監査も行われない。
5) 移民規制を受けない。
6) いかなる通信もすべて暗号化する自由。
7) 司法権からの独立。独自の警察組織さえ有している。


 ■ 1933年 ヒトラー首相に就任

 ● ヒトラーはロスチャイルド一族?

 右図はクリックすると別画面で拡大表示する。

 「アドルフ・ヒトラー」の父は「アロイス・ヒトラー」ですが、その父親、つまりヒトラーの祖父については諸説がある。

 「アイロス」は「マリア・アンナ・シックルグルーバー」という未婚女性の私生児として生まれ、彼女は相手の男性について決して語らなかったようだ。

 (※5, p.54)によると、ヒトラーは「ライオネル・ネーサン・ロスチャイルド」の孫だと記されています。

 そうだとすると、ヒトラーは「ロスチャイルド一族」だということになります。

 そう考えると、貧しい画家だった青年時代から、一気に政界を駆け上がり、1933年には44歳にして首相に就任したこともうなづける。
 背後に強力なスポンサー等のバックがいなければ、到底不可能な事。

(※1,p.178)
 ウォルター・ランガーも、その著書『ヒトラーの心』[ガース暢子訳/平凡社]で同じことを言っている。

 「アドルフの父、アイロス・ヒトラーは、マリア・アンナ・シックルグルーバーの庶子でであった。(中略)
 マリア・アンナ・シックルグルーバーは懐妊当時にウィーンにいたことが証明された。

 当時彼女はロスチャイルド男爵家で召し使いとして雇われていた。
 家族は彼女の妊娠を知ると直ぐに、彼女をシュピタルの実家に送り返し、そこでアイロスが生まれた。


 ● アドルフ・ヒトラーを育てる

【(※5, p.55)から。
 右画像はロンドンの「タヴィストック人間関係研究所」】

 アドルフ・ヒトラーには全く資金がありませんでしたが、彼をスターになるようにカバール【ロスチャイルドが中心でしょうが育てて行くのです。

 カバールは、アドルフ・ヒトラーをロンドンのタヴィストック研究所で学ばせました。
 世界エリート(英国情報局)が運営している英国のソーシャル・エンジニアリングの組織です。
 そこで、彼は将来の演説の訓練を徹底的に受けていたのです。
 ヒトラーの演説は世界的に有名ですが、彼自身がそこでマインドコントロールされて、カバールのパペット(操り人形)になったのかも知れません。

 1929年、世界恐慌でドイツには600万人失業者が街にあふれるようになりました。
 カバールに支援されたアドルフ・ヒトラーは演説の名手になり、「ユダヤ人が戦後不当な利益を得て成功した」と非難し、反ユダヤ人論者の共感を集め、「ドイツの経済復興と軍備増強による大国への復帰」を唱えて、ドイツ国民の団結を訴えました。


 ● ロスチャイルドに操られたヒトラーがユダヤ人を迫害・虐殺?

 ここで普通に考えれば、「ユダヤ人・ロスチャイルド」に操られた「ヒトラー」が「ユダヤ人」を迫害したり、虐殺などするはずがないと思われるでしょう。

 結論から言うと、ロスチャイルドは「パレスチナ」に「イスラエル」という「ユダヤ国家」を建国したかったのです。

 新たな国を創るためには土地と人民が必要です。
 土地は1917年の「バルフォア宣言」で確保できる見通しが立った。

 あとはユダヤ人を移住させなければならない。
 住み慣れた土地を離れ、知らない遠い地に移住するのは誰でもイヤなもの。

 そこでヒトラーの出番です。
 迫害、虐殺、ホロコーストの恐怖を刷り込み、イスラエルにユダヤ人を追い立てたのです。

 人間を強制的に動かすには、恐怖の刷り込みが効果的です。

 また移民の旅費も、多くをロスチャイルドが出したと聞いています。

 移住したのはほとんどがアシュケナージ(白人ユダヤ人)でしょう。
 彼らの本当の故郷は「コーカサス」辺り(黒海とカスピ海の間の土地)だというのに、そこから1,500kmも離れた「約束の地・パレスチナ」に移住させられたわけです。

 「イスラエル」(左画像)は、第2次世界大戦終了後の1948年に独立を宣言しました。

 なお、ロスチャイルドがパレスチナに「イスラエル」を創りたかった理由は「アルバート・パイク」が1871年に書いているように、将来引き起こす予定の第3次世界大戦のための火種としたかったのでしょう。


 ● ヒトラー、首相に就任

 大統領ヒンデンブルグの承認得て、1933年1月30日にヒトラー内閣が発足。


 ■ 1933年 新しい1ドル札に「万物を見通す目」が印刷される

(※1,p.161)
 米国のフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(右画像)スファラディ系隠れユダヤ人で、実名はローゼンフェルトだったが、新しい1ドル札にはすべて「万物を見通す目」とともに「ノウス・オルド・セクロルム」という言葉を印刷するように指示する。

 この言葉は「時代の新しい秩序」を意味するラテン語だが、今日では「新世界秩序(New World Order)」と言われている。

【左の画像はクリックすると、別画面で拡大。

 「万物を見通す目」は「プロビデンスの眼」(Eye of Providence)とも、「神の全能の目」(all-seeing eye of God)とも言われ、フリーメイソンのシンボルとしても使われている。

 ピラミッドの上の「ANNUIT COEPTIS」は「計画に同意せよ」のようだ。

 ピラミッドの最下段に「MDCCLXXVI」とあるが、「I=1、V=5、X=10、L=50、 C=100、D=500、M=1000」なので、「MDCCLXXVI=1000+500+100+100+50+10+10+5+1=1776」となり、アメリカ合衆国独立の年だが、イルミナティ結成の年でもある】

 またルーズベルト大統領は11月16日、ロシアに成立したスターリンボリシェヴィキ政権を国会に諮ることもなく承認する。
 これに抗議して、8,000人のウクライナ人がニューヨークでデモ行進を行った。


 ■ 1935年 ユダヤ人によるアフリカ人奴隷貿易

(※1, p.164)
 1930年から1935年にかけて、エリザベス・ドナン編による『アメリカ奴隷貿易史料集』全4巻が出版された。

 これによって、アメリカのアフリカ人奴隷貿易ユダヤ人が完全に支配し、アメリカへの奴隷の輸送に使われた船のうち、少なくとも15隻がユダヤ人の所有するものだったことが示された。

 このユダヤ人の中には、ロスチャイルド家と明らかにして密接な結びつきのある者もいる。

 ユダヤ人が関係していないと当局に欺くために、船長や乗組員に全員異邦人(キリスト教徒)が使われることも多かった。

 右画像は復元された奴隷貿易船の内部
 ■ 1936年 下院議員ルイス・T・マクファデン毒殺される

(※1,p.169)
 1936年10月3日、1920年から1931年までアメリカの下院銀行通貨委員会の委員長を務めた共和党下院議員、ルイス・T・マクファデン【右画像】が毒殺される。

 マクファデンはそれまでにも毒を盛られたり銃撃を受けたりと、2度の暗殺未遂を経験していた。

 マクファデンは連邦準備制度理事会を最も激しく批判していた一人で、この事件の陰にはユダヤ人の犯罪組織がある。

 ■ 1939年 WW2勃発と大企業等のナチス支援

 ● 第2次世界大戦勃発


 1939年9月、ヒトラーはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発。

 以下、(※5, p.67)から。一部改変しています。


 ● 大企業のナチス支援

 さらに驚きの真実があります。
 連合軍の企業が、敵であるにもかかわらず、戦争中もナチスへ協力していたのです。
 カバールのいつものやり方です。

 例えば、「AT&T」はヒトラーの電線を引き、当時の世界最高の通信技術を提供しています。
 「フォード社」はエンジンを提供しました。
 これらの取引は全てスイスを通して行っていました。

 ホロコーストの象徴である「アウシュビッツへの鉄道」は「地獄へのゲート」と言われました。
 これはアメリカの「ハリマン・ブラザーズ」が建設したのです!

 また、「スタンダードオイル」はホロコーストで使われるサイクロンガスを提供しました。


 ● 王室のナチス支援

 「イギリス王室」もナチスと繋がりがあって、英国銀行の地下にはナチスが奪った金が山のようにあったのです。
【右画像はバッキンガム宮殿】


 ● バチカンのナチス支援

 「バチカン」は1933年にナチスと契約を結んでいます。
【左画像はサン・ピエトロ広場と、大聖堂】

 1933年1月30日「パウル・フォン・ヒンデンブルグ」がアドルフ・ヒトラーを首相に任命し、その半年後の7月20日、バチカン市国でドイツ帝国とドイツ帝国とローマ教皇庁の代表者が「コンコルダート」に署名し、ナチの台頭が公式に決定されることになりました。

【「パウル・フォン・ヒンデンブルグ」は1933年当時のドイツ大統領。
 「コンコルダート」とは、カトリック教会の代表者であるローマ教皇と国家の間に国際法の形式に準じて結ばれる条約】

 そして、「バチカン」も戦後、ナチスが逃亡するを手伝っていました。
 終戦時に、ナチスの高官は、修道士に変装してカトリックの修道院に避難できました。

 「バチカン」はまた、いわゆる「ラットライン」と呼ばれる、元ナチス将校がアメリカや他の国へ新しい身分をもって脱出するためのヨーロッパ脱出ルートの組織化と運営支援に加担していたのです。
 「マルタ騎士団」、「国際赤十字」もその手伝いをしました。

 例えば、アウシュビッツ強制収容所で多くの囚人の人体実験を指揮して恐れられていた「死の天使」(ホワイトエンジェル)ヨーゼフ・メンゲレ医師は、新しい身分で安全に逃亡できました。

 第二次世界大戦以降もナチスは、バチカンヨーロッパ貴族と結びついて、国連世界保健機構(WHO)世界銀行欧州連合(EU)、そしてとして、今日も生き続けているのです。


 ■ 1941年 日本の参戦

(※1,p180)
 ルーズベルト大統領(右画像)は、今後一切鉄くずや石油を日本に売らないとして、第2次世界大戦にアメリカを参戦させる。

 中国との戦争の真っ最中だった日本には、鉄くずや石油がなければその戦争を続けられないことがわかっていた。

 同様にルーズベルトには、この経済的ボイコットによって日本がアメリカを攻撃してくるだろうとわかっていた。

 そして、日本は真珠湾を攻撃したのである。

【なお、宣戦布告が遅延したことについては、昔から諸説あり、ワシントンD.C.の日本大使館員の怠慢、外務省自体の不手際など多くの説がある様で、いまだに決着が付いていないようだが・・・】


 ■ 1941年 ジョサイア・スタンプ卿の言葉

【右画像は1939年に建て替えられた現在の「イングランド銀行」(Bank of England)】

(※1,p.181)
 1928年から1941年までイングランド銀行の取締役を務めたジョサイア・スタンプ卿は、銀行業に関して次のように述べている。

 「現代の銀行制度は、無から金を生み出している。
 そのプロセスは、おそらく、これまでに発明された中で最も驚愕すべき手品の類と言えよう。

【銀行は「通貨の発行」によって、紙切れから「高額な紙幣」を創り出すことが出来ますし、「信用創造」という権能により、無から貸し金を創り出すことが可能です


 銀行業は悪意より考案された生まれもっての罪悪である。

 銀行家は世界をその手に握っている。

 銀行家から世界を取り戻しても金を生み出す力は彼らの元に残されており、ペンをささっと動かすだけで、それを買い戻すに充分な金を作り出せるのだ(中略)

 その絶大な力を銀行家から取り上げれば、鉱山の様な莫大な冨はすべて消え失せる。
 それは消え失せるべきなのだ。

 そうすればこの世界はより良く、より幸せな世界となるからである。

 しかし、皆が銀行家の奴隷であり続けることを望み、そうして奴隷であることに対価を払い続けることを望むなら、銀行家にこのまま金作りを続けさせ、信用取引を支配させておけばよい」

【2020年になってようやく、銀行家からその絶大な力を取り返すことに成功したのかもしれない。
 これは奇跡と言っても差し支えない出来事だと私は考えています】


 ■ 1942年 プレスコット・ブッシュがヒトラーに資金提供

(※1,p.182)
 1942年、アメリカ合衆国の第41代大統領のジョージ・H・ブッシュの父であり、第43代大統領のジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュ【右画像】の所有する会社が、対敵通商法に基づき、差し押さえられた。

 アメリカ兵がドイツ兵に殺されている間、彼はアメリカからヒトラーに資金供給をしていたのである。

(※5, p.80)
 ガーディアン紙などは、米国国立公文書館で新たに発見された文書から、プレスコット・ブッシュが1942年にユニオンバンキングコーポレーションの高位取締役でナチズムの金融設計者であることを確認したと発表しています。


 ■ 1943年 シオニズムとナチズム

(※1,p.184)
 シオニズムナチズムと同じような目的を持っていたのだから。
 どちらもユダヤ人にドイツから出て行ってもらいたかったのである。

 一方で、シオニストたちはパレスチナに行きたがらないユダヤ人に興味は無く、このようなユダヤ人は確実に強制収容所に入れるようにしたほうがよいと考えていた。

 そうすれば、世界中のユダヤ人が怯えて、唯一彼らが安全でいられる場所として盛んに宣伝されていたパレスチナへ逃げ出すだろうというわけである。

シオニズムを強く推進したのはロスチャイルド

 ナチズムヒトラーを支援したのもロスチャイルド

 両者の目的は、パレスチナの地にイスラエルを建国すること。


 右画像は現代のイスラエル】


 ■ 1944年 東京大空襲

 東京都は1944年11月24日から1945年8月15日まで106回の空襲を受けている(Wikipediaによる)

 下図のとおり、東京の主要部分はほとんどまる焼けとなったが、空襲を免れた地域もあった。


 上図はクリックすると別画面で拡大表示します。
 上図は次からお借りしていますが、このページから少し転載させて頂きます。
 https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/1134
 黒字の部分が転載部分です。文字の太さ等、少し改変させて頂いております。

 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。
 ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 代表格は皇居だ。
 東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。


 皇居北側の近衛師団司令部東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。

 赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。
 三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。

 朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。
 八重洲では日銀、三井本館

 永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。
 ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。
 広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。


 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。

 代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場野砲隊の官舎群もみな無傷だ。


【当日の風向などによって、被災した所とそうでない所が出来たのではないか?とも思われますが、東京大空襲には「低空侵入」と呼ばれる飛行方法が採用され、その爆撃精度は高かったと記憶しています。

 B29は高度1,500~1,800mの超低空で侵入したようです。

 この東京大空襲はロスチャイルドが直接指示したものではないでしょうが、このような世界大戦の背後にはロスチャイルド等のカバール集団がいて、一般庶民には「国と国が戦っている」ように見せかけ、一般の人々を苦しめ、悲しませ、更に冨を収奪するのです。

 東京大空襲で被災を免れた建物等は主にカバール側の建物です】


 ■ 1944年 ブレトン・ウッズ体制の確率

(※1, p.185)
 ● ブレトン・ウッズ体制の確率

 アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズ【ホテル】国際通貨基金(IMF)世界銀行が、アメリカの完全参加の上で承認される。

【右画像はアメリカ合衆国ワシントンD.C.のIMF本部

 左下画像はアメリカ合衆国ワシントンD.C.の世界銀行本部
 IMFも世界銀行も、米英に実質支配されている】


 (世界銀行は当初は「国際復興開発銀行」あるいは「IBRD」と呼ばれていた。
 実際に「世界銀行」と呼ばれるようになったのは1975年以降である)


 ● IMFと世界銀行のやったこと

 IMF世界銀行のやったことは基本的に、1913年の連邦準備法がアメリカに確立したことを世界規模で再現したものである。

 IMF世界銀行は、世界が非公式に所有する中央銀行を含む銀行カルテルを作り出した。

 それは徐々に、あらゆる国の銀行の融資政策を指図する力を持つようになる。
 ■ 1945年 WW2終戦と「国際連合」

(※1、p.186)
 ● トリニティ実験場で原子爆弾の実験

 1945年7月16日、ニューメキシコ州ロスアラモスの320km南にあるトリニティ実験場で、原子爆弾の実験が初めて成功する。

 ロスチャイルド一族である爆弾の製造者、J・ロバート・オッペンハイマーは驚嘆して叫んだ。
 「われは死神なり、世界の破壊者なり」[訳注:ヒンズー教のクリシュナ神の言葉]

【右画像は、トリニティ実験場に建つ実権記念碑】。


 ● 原子爆弾の投下と終戦

 そのとおりだ。それから1か月とたたぬうちに広島長崎の上空で原子爆弾が炸裂し、広島では14万人、長崎では8万人が命を落とした。

 そして第2次世界大戦が終結する。

【右画像は1945年8月6日午前8:15に広島に投下されたとされる原子爆弾。

 我が国においても終戦直前に原子爆弾の製造に成功し、海軍が地上起爆させたと考える方もおられるようです。

 広島市には、本土決戦のために陸軍の「第2総軍」が設置されており、当日は広島市において「第2総軍」の大きな会議が予定されていたそうです。

 原爆が起爆した8:15頃には、多くの軍人がその会議に出席するため広島市内を移動中でした】


 ● 「国際連合」の成立

 この年、ロスチャイルド家は、彼らの目標である世界支配に向けて大きな一歩を踏み出す。
 世界政府への公然の試みとしては3度目となる、第2の「国際連盟」が承認されたのだ。
 これが「国際連合」と呼ばれる組織である。

 【1度目はナポレオン戦争後のウィーン会議においてロスチャイルドが成立させようとしたとした世界政府でしょう。これはロシア皇帝アレクサンドル1世に阻止された】


 ■ 1946年 イングランド銀行の国有化

(※1, p.190)
 1946年、イングランド銀行は国有化された。(中略)

 
【国有化された】イングランド銀行は、商業銀行界と、昔からの経済界の力によってほぼ支配され運営されている。

 銀行の方針を定め、その機能を監視する理事会のメンバーのほとんどは、銀行業界、保険業界、経済学者あるいは大企業主から選ばれており、ロスチャイルド家の誰かが理事の座に座り続けていることは言うまでもない。


 ■ 1947年 アルベルト・アインシュタインの公開状

(※1, p.194) 
 アシュケナージ・ユダヤ人のアルベルト・アインシュタインは国連宛てに公開状を書いて、国連の管理する世界政府を樹立するためにすべての国の政府は破壊されるべきと奨励した。

 ■ 1948年 デイル・ヤシンの虐殺

 ● デイル・ヤシンの虐殺

(※1, p.196)
 4月9日の早朝、後のイスラエル首相メナヒム・ベギン【右画像】に率いられたイルグンと、同じく後のイスラエル首相イツハク・シャミル【左下画像】に率いられたシュテルン・ギャングユダヤ人テロリスト123名が、まだ寝静まっていたアラブ人の村デイル・ヤシンを襲撃し、子供を含めた200人の村民を惨殺した。
【「メナヒム・ベギン」(右画像)は、1977年から1983年までイスラエルの首相を務めた。

 「イルグン」はユダヤ人の武装組織。
 「イツハク・シャミル」(左画像)はイスラエルの首相(第8代:1983-1984、第10代:1986-1992年)。
 「シュテルン・ギャング」は、アヴラハム・シュテルンが創設した「シオニスト機関」
 デイル・ヤシン村はエルサレムから西に約6kmの所にある】

 彼らはこの戦争犯罪の残虐行為が村外の監視団体に発見されるのを避けるために犠牲者の遺体を焼こうとしたが、うまく行かず、遺体を国際赤十字の目から隠そうと、その一部を井戸に投げ込んだ。

 だが、赤十字は翌日現場に到着し、事件を世界へ公表した。

 事実、生存者の証言を、パレスチナの1948年4月13日、15日、16日付公文書「犯罪捜査課調査報告書」(文書番号 179/110/17/GS)で知ることができる。

 その中で、イギリスの査問官リチャード・キャトリン副監察長官はこう述べている。

 「この供述の記録がなかなか進まないのは、女性たちがヒステリー状態にあり、供述中何度も泣き崩れたためである。

 しかし、襲撃したユダヤ人たちによって、数多くの性的暴行が行われたことは疑いがない。

 多くの女子学生がレイプされ、惨殺された。
 高齢の女性も性的暴行を受けた。

 少女が文字通り真っ二つに切り裂かれたという例もある。
 多くの幼児が切り刻まれて殺された。

 わたしはまた、ライフルの台尻でひどく殴られたという104歳とされる老女を見た。  女性たちは腕からブレスレットを、指から指輪をもぎとられ、イヤリングを盗るために耳を切り取られた女性もいた」



 ■ 1948年 イスラエルの独立

(※1, p.194)
 1948年の春、ロスチャイルド家トルーマン大統領に選挙キャンペーンの列車上で200万ドルの賄賂を渡し、イスラエルを独立国家として認めるよ求めた。

 5月14日の真夜中、テルアビブイスラエルの独立が正式に「宣言」される。

 11分後、トルーマン大統領は声明を出し、アメリカ合衆国は諸外国中最初にその独立を認めた。

 イスラエルの国旗も発表された。
 旗の図案はロスチャイルド家の「赤い六芒星」の青色版だった。

 旗の上下に描かれた太い青の直線はナイル川とユーフラテス川を表している。(中略)

 ロスチャイルド家の六芒星を使ったことを隠すために、ロスチャイルド家の所有するマスコミは機関はこれを「ダビデの星」と呼んだ。
【「ダビデの星」はユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴する印。六芒星(ヘキサグラム)の形状】

 しかし、秘教的シンボルについての知識さえあれば、この六芒星が古代の神秘宗教では「モレク」(生贄を強制する魔物といわれ、そしてまた興味深いことに、ボヘミアン・グローブで崇拝される最高の対象である石のフクロウもこの名で呼ばれている)や「アスタロト」(地獄の大主計、大公爵とされる)の象徴として使われていたことはすぐにわかる。
【「モレクは古代の中東で崇拝された神の名。男性神。モロクとも言う。「涙の国の君主」、「母親の涙と子供たちの血に塗られた魔王」とも言われる。人身供犠が行われていた。上右画像はボヘミアン・グローブの石のフクロウ】

 六芒星は6本の線で構成され、6個の三角形と6つの先端を持つ事実から、一般的には悪魔のシンボルと見なされている。

 また、六芒星土星(サターン)を表す印としても使われているが、「サターン(Saturn)」は、「悪魔(Satan)」の秘密の名前とされている。

 このことはつまり、イスラエルの名の下に殺された者は、実は彼らの神である悪魔への生贄であったことを示してはいないだろうか?

 さらに言えば、ユダヤ教の安息日はもともと「サターンの日(Satuu's Day)」である。


 ■ 1949年 中華人民共和国の建国

(※1, p.200)
 10月1日、毛沢東【右画像】が天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言する。

 毛沢東はロシアに共産主義を生み出したロスチャイルドから資金提供を受け、ロスチャイルドの代理人に操作されていた。

 その代理人とは、元アメリカ財務省の役人でソビエトのスパイだったソロモン・アドラー【左上画像】

 ロシア革命を扇動しようとして皇帝に投獄されたユダヤ人ボリシェヴィキの息子イスラエル・エプスタイン【右画像】

 そしてロスチャイルド家が所有している国際通貨基金(IMF)の理事フランク・コー【左画像】である。
 ■ 1950年 ロスチャイルド家による世界政府計画

(※1, p.202)
 ロスチャイルド家世界政府のための計画に着手したのだ。

 それにはまず、全世界の金融システムを一元化するための3つのステップから始まった。
 以下が、その3つのステップである。

 ①世界中の国家経済を中央銀行が支配する。
【右上画像は米国の中央銀行FRB(Federal Reserve Board:連邦準備制度理事会)】

 ②欧州連合(EU)のような超国家機関や北米自由貿易協定(NAFTA)のような地域的な貿易連合を通じて、特定地域の経済を一元化する。

 ③世界中央銀行世界通貨、さらにGATT(関税及び貿易に関する一般協定)のような条約によるすべての関税の廃止を通じて、国家の独立性を完全に失わせることによって、世界経済を一元化する。


 ■ 1954年 ビルダーバーグ会議

(※1, p.206)
 オランダ、アーネムのビルダーバーグ・ホテルビルダーバーグ・グループの初めての会合が開かれた。
【右画像は、初代議長のオランダのベルンハルト王配

 ビルダーバーグ・グループというのは、ロスチャイルド家の1人が創設した、およそ100~200名の影響力を持つ人々からなる国際的な組織で、メンバーのほとんどが政治家や実業界の人間であり、会合が開かれるのは年に1度だが、裏では密かにユダヤ人の世界的権力の指示で動いている。

 通常この会議では用意された世界的な政策が提案されるが、メンバーはその報告をそれぞれの国に持ち帰って政府に委任し、各国政府はそれを実行するのである。


 ■ 1963年 JFケネディの暗殺

 ● 米国政府紙幣の発行

(※1, p.211)
 6月4日、アメリカ合衆国代35代大統領ジョン・F・ケネディ【右画像】は、行政命令11110に署名して、ロスチャイルド所有の連邦準備制度理事会によらず通貨を発行する権利を、合衆国政府の手に取り戻した。
【「行政命令」は「大統領令」「大統領命令」とも言われる。EO:Executive Order】

 それから半年と経たない11月22日、ケネディ大統領ロスチャイルドによって暗殺された。

 暗殺の理由は、彼らが1865年にエイブラハム・リンカーン大統領を暗殺したときと同じだ。
 リンカーン大統領は、金を奪い取る海外エリートの戦争屋の利益に反して、アメリカ国民のためにアメリカの紙幣を印刷しようとしたのだ。

 行政命令11110が、隠れユダヤ人と思われるリンドン・ジョンソン(代36代アメリカ合衆国大統領)によって事実上撤回される。(中略)


 ● イスラエルの核保有を認めない

 しかしながら、ケネディ大統領が暗殺されたもう一つの、そしておそらく最大の理由は、イスラエルのダビッド・ベングリオン首相【左画像】に対し、いかなる状況下においても同国が核保有国になることは認めないと明言した事実にある。
(中略)

 ここで興味をそそられるのは、1つには、ケネディの妻ジャクリーンがユダヤ人だったということだ。(中略)

 最後に、確証はないが、ケネディ一家が実は数世代前にアイルランドに移住したユダヤ人一家であるとの見方もある。


 ■ 1966年 歴史学者キャロル・キグリーの言

 米国の歴史学者キャロル・キグリーは、この年に出版された著書『悲劇と希望(Tragedy and Hope)』で、次のように述べている。

 「各国の政治体制と世界経済を支配できる民間機構が、金融を掌握する世界体制を作り出すことを目的とする国際的なネットワークが、実存する」

 ■ 1972年 WHOによるワクチン接種の大量虐殺

(※1, p.225)
 WHO(世界保健機構)天然痘ワクチン接種による何百万人というアフリカ人の大量虐殺に着手。

 このワクチンには、急速に人口増加が進んでいた貧困層の黒人の人口減少計画を開始できるよう、HIV/AIDSウイルスが混入されていた。
 この計画を支援していたのは、ロスチャイルド家である。


 ■ 1973年 バーコードに666

(※1, p.228)
 ロスチャイルド家の支配するIBM社の社員ジョージ・J・ローラーUPCバーコードを考案[訳註:UPCはアメリカ、カナダを対象とした、商品統一コード]

 バーコードというのは事実上、世界中で売買される全ての品物に記されることになる識別子だが、これには666という数字が含まれている。

 「黙示録」13章17節から18節は、この数字に関してこう述べている。

 「そこで、この刻印のある者出なければ、物を買うことも売ることもできないようになった。
 この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
 ここに知恵が必要である。
 賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。
 数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である

 ■ 1974年 ニクソン失脚

(※1, p.232)
 8月8日、ニクソン大統領は「ウォーターゲート事件」の結果、辞職。
 事件はニクソン再選を狙う集団が、この2年前に民主党全国委員会の事務所に侵入したという告発がされたものである。

 公にはされなかったが、その前年の1971年、ニクソン国税庁で働く大勢のユダヤ人の活動を調査するよう当局に指示していた。

 アメリカの裕福なユダヤ人が支払うべき税金を払わなくてよいように国税庁が取り計らっているのではないかと懸念したためである。

 ユダヤ人の財産が調査されるかもしれないとなった途端に事件が起きて、歴史上1度しかないアメリカ合衆国大統領の辞任につながったのは、何とも興味深いことではないだろうか。


 ■ 1976年 アシュケナージ・ユダヤ人の言葉

(※1, p.235)
 アシュケナージ・ユダヤ人ジェイコブ・ジャビッツ上院議員の側近を務めていた、同じアシュケナージ・ユダヤ人ハロルド・ローゼンタールは、次のように述べた。

 「ほとんどのユダヤ人は認めたがらないが、我々の神はルシファー(堕天使)である」
【「Lucifer」とは、もともとラテン語で光をもたらす者という意味。 悪魔・堕天使の名として使われ、堕天使の長であるサタンの別名でもある。
 エレナ・ダナーンさんによると、堕天使ルシファーエンキの息子であるが、エンリル側についたマルデュクが演じていたとのこと】



 
 ■ 1978年 B型肝炎ワクチンの接種試験 

(※1, p.237)
 アメリカの1,000人以上の「みだらな同性愛者の男性」を対象とした、B型肝炎ワクチンの「接種試験」が行われた。

 これを後援したのは国立衛生研究所(NIH)疾病対策センター(CDC)で、ニューヨーク市血液銀行を統括するヴォルフ・シュマグナー医師によって実行された。
 シュマグナーは、1919年生まれのポーランド系ユダヤ人である。

 このワクチンには、一般にAIDSウィルスとして知られる細菌兵器が、意図的に組み込まれていたが、CDCは1981年迄、B型肝炎ワクチンを接種された者のうちAIDSに感染したのはわずか6%であると主張していた。

 しかしながら、1984年に明らかになったところでは、実際の感染率は64%だった。
 ただし、調査結果の全容は秘密にされたままなので、この数値はまだ大きくなる可能性がある。


 ■ 1980年 ジョージア・ガイドストーンの建立

(※1, p.240) 
 「ジョージア・ガイドストーン」が米国ジョージア州エルバート郡に建立される。
 これに刻まれた10戒の第一戒は次のようになっている。

 (世界の)人口を5億人以下にとどめ、自然との永遠の均衡を保つべし」

 (当時の)世界の人口は60億超であるから、これは世界人口の10分の9の削減を意味する。
【2022年7月6日「ジョージア・ガイドストーン」は何者かによって破壊された。右上画像は破壊される前のもの】


 ■ 1982年 サブラ・シャティーラの大虐殺

(※1, p.242)
 後のイスラエル首相で、当時防衛長官だったアシュケナージ・ユダヤ人アリエル・シャロン【右画像】は、9月16日から18日まで、イスラエルのレバノン侵攻を指揮。

 照明弾によって、子供を含む1,000~2,000人の市民の殺戮を進めた。
 サブラ・シャティーラの大虐殺である。(中略)

 シャロンは首都ベイルートにねらいを移し、民間人を標的に空爆が繰り返された結果、少なくとも1万8,000人のレバノン人パレスチナ人市民が死亡した。


 
 
 
 
 
 ■ 2001年 911事件

 ● 「911」をアラブ人のせいにする

(※1, p.314)
 9月11日、世界貿易センターペンタゴンへの攻撃が、ロスチャイルド家の指示のもと、イギリスやアメリカと共謀したイスラエルによって遂行される。
【実行犯の主体は、イスラエルモサドだと言われている。世界貿易センター(WTC)ペンタゴンには航空機は激突していない。貿易センターの激突はCGだった。ペンタゴンに激突したのはトマホークのような飛翔体】

 しかし、彼らはこれをいわゆるイスラム教徒のテロリストのせいにした。
 これは、ユダヤ人の代わりに欧米諸国アラブ世界との戦争に向かわせるための第一段階である。

 これもまた、モサドの偽装工作のいいお手本である。
 例のモットーを思い出していただこう。
 「謀略を持って、闘争を遂行すべし」


 ● アフガン侵攻の理由


 また、ロスチャイルド家はこの攻撃を利用して、ロスチャイルド家中央銀行を認めない、世界でも数少ない国の支配権を得ようとする。

 そのため、攻撃から1か月もしないうちに、アメリカ軍はアフガニスタンを攻撃した。

 アフガニスタンは、ロスチャイルド家の支配する中央銀行を持たない、世界でたった7か国のうちの1つである。
7か国は次だと思われる。アフガニスタン、ロシア、イラン、シリア、ボリビア、キューバ、北朝鮮

 その7か国のほとんどは、国民の大半がイスラム教徒である。
 イスラム教徒は大多数の白人のキリスト教徒と違って(「ネヘミヤ記」5章7節参照)、経典に従い、金銭の貸し借り、即ち「高利貸し」に関わることを拒む。
 これに対して、ユダヤ人は何百年間も腹を立ててきた。


 ● ユダヤ人はイスラム教徒を嫌っている

 また、ユダヤ人は、世界中にいるイスラム教徒を非常に不愉快に思っている。
 というのも、キリスト教徒を相手にしたときには非常にうまく行った信仰破壊計画が、イスラム教徒にはほとんど失敗しているからである。(中略)

 ところが、イスラム教徒の大多数は信仰を持ち続け、西側諸国内部に独自のコミュニティを作った。
 キリスト教徒のようにユダヤ人の罠にはまらなかったわけである。
 そこで、ユダヤ人イスラム教徒を滅ぼしてしまう必要があると考え、その仕事をキリスト教徒に肩代わりさせることにしたのだ。(中略)


 ● 生きていたハイジャック犯

 興味深いことに、9月11日の攻撃で死亡したハイジャック犯と特定された19人のうち、7人が生きていることが判明した。
 そのうち、数人はアラブ諸国のアメリカ大使館に出頭し、なぜ自分がハイジャック犯と呼ばれているのかと尋ねた。

 アメリカや、ユダヤ人の支配するメディアは、このことを問題にしただろうか。
 答えは、ノーだ。


 
(原稿作成中)
 
(原稿作成中)
 ■ 2004年、フィキシング(金価格の値決め)から撤退

 ロンドン金市場では、1919年から毎日ロスチャイルド社の「黄金の間」に固定のメンバー(5大貴金属商)が集まってフィキシング(fixing)と呼ばれる「値決め」を行ってきた。

 そして、この価格が金現物の国際的な指標価格として用いられてきた。

 しかし、2004年にチェアマンであったロスチャイルド社が貴金属ビジネスを縮小したことによりフィキシングから撤退

 現在はスコシア・モカッタ、バークレイ銀行、ドイツ銀行、HSBC、ソシエテジェネラルの5社(チェアマンは輪番制)が、毎日午前と午後に電話で売買注文を突き合わせ、折り合った価格をフィキシング・プライス(値決価格,fixing price)として世界に向けて発信しているとのこと。
 https://gold.mmc.co.jp/market/word/jp8.html )


 ■ 2016年頃 ロスチャイルドとホワイトハットの会議

 (以下は主に「内藤晴輔」さん(左画像)からの情報です)

 ● 昭和天皇のスイス銀行秘密口座

 昭和天皇にはスイスの銀行に、皇后名義秘密口座を持っていた。
 その秘密口座には約6万トンの金を預けていた(画像は昭和天皇と香淳皇后)

 6万トン=600億g(グラム)
 今の金価格8,700円/gで計算すると522兆円。

 戦後昭和天皇はその秘密口座を隠すため、マッカーサーに相談するも、却下された。

 昭和天皇はアメリカの上院、下院を買収し、国際赤十字の名前を使う許可を得た。

 その口座名は「ニッセキ」
 約6万トンの金はロスチャイルドに渡す約束をしていた。


 ● ホワイトハットによる口座凍結

 そのスイスの秘密口座をホワイトハットが凍結
 この凍結により、ロスチャイルドの資産が減少し始めた。


 ● ロスチャイルドとホワイトハットの会議(2016年頃)

 イスラエルで、DSの中核であるロスチャイルドホワイトハットが会議を開いた。

 ホワイトハット:「30年前に金融戦争を始めた頃には、ロスチャイルドが世界の資産の69%を有していたが、今では5%になっている。
 もうこんな戦争は終わりにしませんか?」

 ロスチャイルド:「All or Nothing」
 (「全てか無か」「ゼロになるまで戦い続ける」の意か)

 ロスチャイルドの最終作戦が「新型コロナウイルス・パンデミック」だ。


 ■ 2019年 ロスチャイルド家、200年の栄華に幕

 2019年1月26日付けのBloombergの記事によると「ロスチャイルド家はオーストリアの最後の土地を手放し、200年の栄華に幕を下ろした」とある。
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-25/PLWH2Q6VDKHS01

 ロスチャイルド家は約7,000ヘクタール(ニューヨーク、セントラルパークの約20倍の広さ)に及ぶニーダーエスターライヒ州の森を保有する2つの信託を、ウィーンを拠点とする包装材会社に売却することに合意した。


 ■ 2019年 環境活動家グレタ・トゥーンべリはロスチャイルド一族

 2019年頃(当時16歳)から本格的に活動を開始した環境活動家「グレタ・トゥーンべリ」は、ロスチャイルドが支援していると以前から聞いていたが、ロスチャイルド一族だったようだ。

 初代ロスチャイルド男爵は「ナサニエル・ロスチャイルド」(英国ロスチャイルド家の祖、ネイサンの孫)で「ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド」はその長男だが、銀行業にあまり関心を示さず、動物学研究に没頭したようだ。

 また「ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド」は生涯未婚で、非嫡出の娘「オリガ」が一人いたようだ。
 よって、ライオネルは一般的なロスチャイルド家の系図に出て来ないようだ。

 「グレタ」は「オリガ」の孫か!?


 次の動画でも同様のことを言っている。
 https://www.bitchute.com/video/GVrnxroCkqz3/

 上の動画では更にヒトラーアンゲラ・メルケルクラウス・シュワブも一族だと言っている。
 ヒトラーについては、1933年の項。
 アンゲラ・メルケルについては2021年の項。


 ■ 2019年 新型コロナ・パンデミックはロスチャイルドの最後の作戦

 2019年12月初旬に、中国の武漢市で第1例目の感染者が報告された新型コロナウィルス・パンデミックは、内藤晴輔さん(右画像)によると、ロスチャイルドの最後の置き土産だとのこと。

 このパンデミックが世界で終息する時こそ、新しい世界の幕開けになってもらいたいものだ。


 ■ 2020年 現代のロスチャイルド


 初代ロスチャイルドである「マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド」の時代には、5人の息子たちは強く団結して金融事業を進めていた。

 しかしながら、当時から200年以上経った現代においては、次の3つの金融グループに分かれて、それぞれ事業を進めているようだ。


 ● The Rothschild Group(ザ・ロスチャイルド・グループ)

 仏の「ダヴィド・レネ・ド・ロスチャイルド」(右画像)が率いる金融グループ。

 「ダヴィド・レネ・ド・ロスチャイルド」は、現在のロスチャイルド一族の中で、最も権力を有している者と思われる。

 「Paris Orleans」を金融持ち株会社とし、次等をその傘下に置いている。

N・M・ロスチャイルド&サンズ(イギリスの投資銀行、本店はロンドン、シティのニューコートにある)

Rothschild & Cie Banque(フランスの投資銀行)

Rothschild Bank AG(スイスを中心に活動するプライベートバンク)

 金融持ち株会社である「Paris Orléans」はパリ証券取引所に上場しており、2011年においてその総資産は86.2億ユーロ。
 8,620,000,00ユーロ=8,620,000,00ユーロ×145円/ユーロ
 =1,249,900,000,000円=1兆2,499億円


 ● Edmond de Rothschild Group(エドモンド・デ・ロスチャイルド・グループ)

 「ベンジャミン・ロスチャイルド」が率いていた金融グループ。
 「ベンジャミン・ロスチャイルド」は2021年1月15日、心臓麻痺によりスイスの自宅で急死した。57歳だった。

 Edmond de Rothschild Groupはスイスに本拠を置く金融グループであり、傘下に次等を置いている。

Banque privée Edmond de Rothschild(スイスを中心に世界中で富裕層の資産運用(プライベート・バンキング)を行う)

Compagnie Vinicole Baron Edmond de Rothschild(フランスを中心に世界中でワイナリーを経営)

 Banque privée Edmond de Rothschild」はスイス証券取引所に上場しており、2010年においてその総資産は123億スイスフラン。
 12,300,000,000スイスフラン=12,300,000,000スイスフラン×149円/スイスフラン
 =1,832,700,000,000円=1兆8,327億円


 ● RIT Capital Partners(RIT キャピタル・パートナーズ)

 英国の「ジェイコブ・ロスチャイルド」(右画像)を筆頭とする金融グループ。

 「RIT」は「Royhschild Investment Trust」ロスチャイルド投資信託。

 1980年に設立され、ロンドンのスペンサーハウスに本拠を置く投資信託銀行。

 ジェイコブ・ロスチャイルドは1936年生まれで、2022年現在86歳。

 世界のロスチャイルド家の当主であるが、実力は仏ロスチャイルド家の方が大きい。

 ジェイコブ・ロスチャイルドの後継者はナサニエル・フィリップ・ロスチャイルド
 1971年生まれ。通称ナット・ロスチャイルド

 「RIT Capital Partners」はロンドン証券取引所に上場しており、2011年において総資産は23.8億ポンド。
 2,380,000,000ポンド=2,380,000,000ポンド×165ポンド/円
 =392,700,000,000円=3,927億円


 なお、ジェイコブ・ロスチャイルドは若い頃日本に住んでいたことがあり、ホテル・オークラのオーナーの娘と恋に落ちた。

 しかしながら娘の両親の反対により、娘は入水自殺したという。
 ジェイコブはしばしば「日本が第2の故郷だ」と言うらしい。

 息子のナットも「311」の直前まで東京の「帝国ホテル」に事務所を構えて住んでいた。
 親子ともども日本を嫌っている感はない。

 「311」は「モサド」とイスラエル企業の「マグナBSP」が関わっており、背後にロスチャイルドがいることは確実だが、「311」を起こしたのは「仏ロスチャイルド家」とそれに組した「ロックフェラー」の可能性が高い。


 ■ 2020年 ロスチャイルド一族の内紛


 上の画像は次から。
 https://blog.goo.ne.jp/zabuyamato/e/c564a09fb3da9e58d4363fcc6cca168d
 クリックすると別画面で拡大。

 ●ロスチャイルド家の内紛

 鉄壁の団結を誇ったロスチャイルド家も200年の歳月とともに、内紛が起こっていたようだ。

 内紛の中心は仏の「
ダヴィッド・レネ・ド・ロスチャイルド」(右画像)と英の「ジェイコブ・ロスチャイルド」(左画像)の対立だろう。



 ● ロックフェラー一族の壊滅

 この対立の煽りを受けて、「ロックフェラー一族」は壊滅的な打撃を受けたようだ。

 石油利権派の「
デイヴィッド・ロックフェラー」(右画像)は、2011年8月31日にモナコで開催された「57か国金融秘密会議」(ジェイコブ・ロスチャイルドが呼びかけた会議)で糾弾され、その後に完全に失脚したようだ。
 また2017年3月20日、自宅で死亡。101歳。

 ロックフェラー家を引き継いだ、デイヴィッドの甥の「
ジェイ・ロックフェラー」(左画像)は「57か国金融会議」で門前払いを受け、その後「57か国金融会議」の監視機関によって、身柄を拘束されたとの情報もある。


 ● 英国ロスチャイルド家による改革?

 2020年春に「ロスチャイルドFRBを手放した」との情報がツイッターなどで駆け巡った際に、英の「ナット・ロスチャイルド」(ナサニエル・ロスチャイルド)はこれを認める、肯定するようなツイートをしていたように記憶している。

 つまり、今回の「ロスチャイルドFRBを手放す」という、想像もできない程の大改革は、英国ロスチャイルド家によって進め勧められた可能性がある。

 同じ英国ロスチャイルド家の「デイヴィッド・マイヤー・ロスチャイルド」(右画像)は、2020年春当時、半狂乱のツイートをしていた記憶がある。
 事前に話を聞いていなかった様な感じだった。

 なお、「デイヴィッド・マイヤー・ロスチャイルド」は金融業に携わってはおらず「冒険家」として活躍してきたことで知られている。

 ■ 2021年 アンゲラ・メルケルはロスチャイルド一族

 上図は、クリックすると別画面で拡大する。

 ヒトラーロスチャイルド一族であったことは1933年の項に書いた。

 以下は主に内藤晴輔さんからの情報になるが、2005年から2021年12月迄ドイツ連邦首相を務めたアンゲラ・メルケルは、ヒトラーの精子から作られた試験管ベイビーだそうだ。

 また、2016年から2019年迄イギリスの首相を務めたテリーザ・メイも同様。

 更に、リトアニア共和国第5代大統領を務めたダリア・グリバウスカイテもヒトラーの精子から作られたそうだ。


 試験管ベイビーではなく、実際に生まれた長女スタンリー・アン・ダナムはケニア人と結婚し、バラク・オバマを生んでいる。

 右画像は、スタンリー・アン・ダナムとその息子バラク・オバマとされる画像。

 彼らは皆ロスチャイルド一族


 ■ 2021年 ベンジャミン・ロスチャイルド氏死去

 2021年1月15日、仏ロスチャイルド家のベンジャミン・ロスチャイルド氏(、右画像)が心臓まひのため死亡。57歳。

 スイスのプライベートバンク「エドモン・ド・ロスチャイルド」の経営者で、ボルドー・メドックのシャトー・クラーク(Chateau Clarke)のオーナーでもあった


 ベンジャミンは1963年、ロスチャイルド家のフランス分家の一員の家に生まれた。

 父がジュネーブに設立したプライベートバンクを1997年に継承、「エドモン・ド・ロスチャイルド・ホールディング」(Edmond de Rothschild Holding SA)の取締役会長を務めていた。

 ウェブサイトによると、2019年末で1730億スイスフランの資産を保有している。フランスの雑誌Challengesの2020年の億万長者番付で22位に格付けされている。

 ■ 2022年 エヴリン・ド・ロスチャイルド氏死去

 2022年11月8日、英ロスチャイルド家のエヴリン・ド・ロスチャイルド氏(Everyn de Rothschild、右画像)が死亡。91歳。

 1976年から2003年まで
NMロスチャイルド・アンド・サンズ銀行の最高経営責任者及び会長を務めた。

 イギリス本家と言われるジェイコブ・ロスチャイルドよりも、フランス分家のダヴィッド・ド・ロチルドに近かった人物。フランス家と共に「原発利権派」と言う人も。

 左画像は、当時皇太子であった英王室チャールズ(現国王)の胸を小突くエヴリン・ド・ロスチャイルド
 ■ 2024年 ジェイコブ・ロスチャイルド氏死去

 ● ジェイコブ・ロスチャイルド死亡

 
2024年2月26日、英国銀行家のジェイコブ・ロスチャイルド氏(右画像)が死去。87歳。

 一族の銀行を辞め、ロンドンの金融街シティーに自らの金融帝国を打ち立てた。


 ロスチャイルド氏は方向性を巡る対立から一族の銀行、N・M・ロスチャイルド・アンド・サンズを1980年に退社し、ロスチャイルド・インベストメント・トラストに注力。

 同社は現在までにRITキャピタル・パートナーズと改称し、英国最大級の投資信託に成長していた。


 ● ロスチャイルド家の中心

 1812年9月19日、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(初代ロスチャイルド)の死去に伴い、イギリスのネイサン・ロスチャイルド(3男)が一族の当主に選出された。

 死去したジェイコブ・ロスチャイルドはこのネイサンの家系であるため、一般的には現代でも世界を牛耳るロスチャイルド家の総帥と見られることが多かった。

 しかし、実際には上のとおり、1980年に一族の銀行であるN・M・ロスチャイルド・アンド・サンズを退社するなど、ロスチャイルド家の中心はイギリス分家のエヴリン・ド・ロスチャイルドとフランス家ダヴィッド・レネ・ド・ロスチャイルドの一派に移っていたようだ。

  脚注

 (※1)、(※2)・・・等はこちらをご参照ください。


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